ホームワック開発秘話
誰もが簡単に近視を改善させる方法を見つけたい―――
それがホームワック考案者、鈴木弘一先生の願いでした。
鈴木先生は、自身が大学院生時代から、子供の近視に着目してきました。
数多くの子供たちの視力検査を受け持ち、眼球を観察するうちに、子供の生活環境という後天的要素が深くかかわることに気がつきました。
これまでの近視治療はといえば、せいぜい目薬のミドリンを処方する程度でした。
しかしミドリンは、もともと、筋肉を麻痺させて弛緩させるための薬です。
これでは、対処療法でしかありません。
しかも、ミドリンには目がしみたり痛んだりといった副作用があり、子供が使うのに良い薬とは、とても言えませんでした。
そんな折、診察で、患者の子どもの母親がポツリともらした言葉に心を打たれました。
『とりあえず様子を見て』と言われても、すごく困ってしまいます。
放っておいて治るものじゃないし、不安はどんどん募ります。
長い時間テレビを見たがる子どもをただ叱る毎日に、やりきれなさを感じます。
母親の悲痛な叫び、それが、鈴木先生に、対症療法ではなく、根本的な視力改善ための方法の開発を決意させました。
副作用がなく、子どもが簡単に続けられる方法の発見が急務でした。
あちこち訪ね回り、情報を求めてさまよったところ、東京医科歯科大学の医学部で、一風変わった道具を見つけました。
それはとても目を引く外観でした。
とにかく大きく、しかも木製なので、ものものしい雰囲気が漂っています。
どう見ても手動式で、装置というより、工芸品のようでした。
いったい何に使うものなんだろう?
鈴木先生は興味をそそられ、傍にいた研究員に尋ねました。
すると、それは雲霧法(うんむほう)を採用した、視力回復のための装置とのこと。
雲霧法というのは、屈折度数を調べる屈折検査を行うときに、用いられる方法です。
調節力を働かせないようにするため、わざとピントが合わないように、屈折度数を遠視側へシフトしたテストレンズを装着し、20分間した後に、屈折検査を行います。
しかしこの装置は、視力改善ができる機械だと言います。
さっそく鈴木先生は、この大型機械を発案した大塚任教授に話を聞きました。
この装置を使うことで、視力回復に一定の効果が出ている事が確認されていることを知りました。
実際に患者がここに通って、この装置を使って訓練しているということです。
そのとき、鈴木先生はひらめくものがありました。
この機械をもっと小型化し、完全自動化して使いやすくすれば、家庭でも視力回復のためのトレーニングができるはずだ・・・
鈴木先生はこのアイデアに夢中になりました。
そして、木製装置の発明者、医科歯科大学医学部の大塚仁教授らに協力を依頼しました。
その結果、設計スペシャリスト中嶋朝二氏、光学スペシャリストで大手カメラレンズメーカー(タムロン、トキナー)に技術支援を行う鈴木 林氏が名乗りを上げ、鈴木先生、大塚仁氏を中心とした、4人のメンバーで、新しい視力回復装置の開発に着手しました。
どの家にもある『テレビ』を見ながら、自宅で楽しく気軽に視力回復できる光学装置
…これが開発テーマでした。
そのためには、効果があるだけではなく、小型軽量、継続性、ハンドリング性(扱いやすさ)が重要でした。
設計担当の中嶋朝二氏が苦労したのは、ハンドリング性の向上です。
既存の大型の木製装置は場所をとるし、使いづらい。
小型化するには、あらゆる無駄をそぎ落とし、個々の部品の効率性を最大限に高めなければなりません。
試行錯誤を繰り返し、ついに設計図が完成したのは、1年後でした。
そして、図面を製品化するには、83個もの精緻な部品を用意する必要がありました。
次にバトンタッチしたのは、鈴木 林氏を中心とする、試作機開発グループです。
試作機の作成には、以下の作業が必須でした。
- 形状の異なる4枚の光学レンズの設計
- レンズの選定
- レンズの研磨
- レンズ枠の縦横の動き
- 回転プリズムモーターの外装の材質・形状
- 各種部品の調達
これらの必須条件を、全てクリアしなければなりません。
しかしここで、彼らの前途を阻みかねない、大きな問題が立ち上がります。
それは資金調達という問題でした。
当初の予算は、ここまでの段階で使い果たしてしまい、このままでは、この後の開発費用が足りないことが判明したのです。
特に精緻な83個の部品はオーダーメイドでしか手に入らないので、開発費用が高額となります。
このままでは、試作品を作ることができず、開発を一時凍結しようという声も上がり、チーム内で、議論が紛糾しました。
チームの士気が下がっている…
それを誰よりも悲しんだのは、プロジェクトを立ち上げた鈴木弘一先生でした。
鈴木先生は、以前相談を受けた患者の母親が診察に現れたとき、雑談の合間に、思わずこの悩みを話しました。
すると、3ヶ月後に診察に来た時、その母親は、近視の子どもの悩みを持つ母親たちと募金を集め、持参してくれたのです。
あまりのことに、鈴木先生は、信じられない思いでした。
一度は辞退したものの、「私たちのためにも試作機を完成させて欲しい」という、母親の強い願いに根負けし、ありがたく受け取ることを決めました。
ここから、開発チームのやる気に再び火がつき、寝る間も惜しむ努力が始まりました。
近視の子どもに悩む母親たちの思いを無駄にしないためにも、素晴らしいものを創らねばならない。
そのために妥協は許されません。
改良に改良を重ね、試作品が完成したのは、そこから実に2年後でした。
小型で場所をとらず、完全自動で作動するため、専門家以外でも、簡単に取り扱いできる視力回復装置がついに完成したのです。
「ついにやったぞ!」
チームメンバーから、口々にこの言葉が出ました。
鈴木先生は胸の奥から熱いものがこみ上げて来るのを感じました。
これで、子供たちが、くつろげる自宅で、継続的に、視力回復のために有効な訓練を行える…
誰もが待ち望んでいた結果の実現だったからこそ、その喜びは、とても大きいものだったのです。(完)